ツールド東北を終えて。

長らく期間が開きましたが

今回ボケなしで自分の中で風化しない様、記録に残す為に真面目な文章を書こうかと思います。

 

9月に行われたツールド東北に参加してきました。

夜中、3時に起床し4時に自宅を出発。

深夜発なので当日にカフェインがしっかり効く様に一週間前からカフェインを控えてました。

ブラックコーヒー2缶と

ブラックガム、ミントガム、モンスターをストックに。

 

 

国道6号を北上し那珂ICから高速の常磐道へ。

この頃は初めて行く東北の地に

気持ちは旅行気分でした。

 

しかし、福島に入り

南相馬市辺りに入った辺りから

景色が変わり始めました。

 

放射線濃度を示す電子掲示板。

福島に入ると常磐道も海沿いを走るので

太平洋が見えます。

さっきまであったはずの建物という建物も

少なくなっているのに気付き始めました。

 

 

太平洋から朝焼けが綺麗に見えて

景色の変化に気づいたのも遅かった気がします。

 

 

そんな事を思いつつ

宮城県へ入りました。

 

事前受付を終え

出走当日。

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天気にも恵まれ晴天の中のスタート。

 

走って行くうちに

仮設住宅や作っている最中の堤防などが見えてくる様になりました。

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自分の中で未だに感情が薄れない写真がこちらです。

 

学生や職員の方が流されてしまった

女川小学校

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現実を目の当たりにし

涙が出てきました。

一緒に行った彼女もそれを悟ったのか

ここにいる間は近寄って来なかったです。

 

生きるはずだった子供達。

もっと沢山の事を教えるはずだった

職員の方達。

 

 

 

 

 

 

 

 

当時3月11日

自分は高校生で茨城に住んでいました。

茨城も東日本大震災の被災地である事も

知って欲しいので話もそれ余談ですが

記事にしたいと思います。

 

当日は授業中でした。

一瞬で今まで見ていた光景が変わったので

何があったのかよく覚えていないですが

 

この日初めて

あっ俺は今から死ぬんだな。と

当時、高校生の自分も思っていました。

一瞬で天井、壁は崩壊し

照明も点滅。

水道管も割れ水浸しの廊下。

彼方此方にガラスの破片。

女子達の悲鳴。泣き声。

生徒をまとめる為に怒鳴る先生達。

体育館が崩壊するのも見てました。

 

 

ライフラインが復旧したのも6日後。

東北があんな事になっているなんて知ったのも

6日後でした。

 

歪んだ地盤や未だに立ち入り禁止の

場所も地元に残っています。

 

地元の港も流されてしまいました。

 

そんな経験もし

今回、参加したツールド東北。

今でも思い出すと色んな感情が湧いてきます。

 

応援に行ったのに応援されていた。

 

 

この言葉一つで全てがまとまります。

 

沿道で応援してくれるおじいちゃんおばあちゃん達

太鼓を持って元気よく大声出してる

体の大きい坊主の男の子。

赤ちゃんを抱きかかえながら

旗を振ってくれてる若い家族の方。

大漁旗を勢いよく振っている漁師の方々。

 

色んな方の応援を受けながら

海岸線沿いを走っていました。

 

 

3000人強も参加するこの大イベントが

毎年行われているのも

地元の方々の理解があってこそのイベントだのと思いました。

正直、こんな数の自転車が走るのは

コースを普段、生活路として使っている

地元住民の方からすれば

正直、邪魔だと思う方も少なからずいるでしょう。

しかし、そんな運転をする方や形相をする方は1人も見ませんでした。

 

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震災は終わってない。現在も続いていて

けど一歩ずつ前に進んでいる。

自分の中で風化しない為に記事にしてみました。

もっと東北の事を知りもっと東北の事を好きになり来年も必ずこのイベントには参加したいと心から思っています。

 

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